今回の応用ステップ山行で登頂を目指した毛勝山は標高2414.5m、毛勝三山を代表し、また日本二百名山に選定されている。
山名については、夏に水不足になると融雪を促すため人々が鍬で毛勝谷などの雪渓を崩したと伝えられ、水不足による凶作すなわち飢渇(けかつ、けかち、きかつ-飢饉の意)が毛勝に転訛したとの説がある。また、古くは瀧倉ヶ岳といったが日本陸軍参謀本部陸地測量部による測量の際に毛勝(けかつ)山としたとは、帰路に利用したタクシー運転手の談。
今回は9名パーティで、当初の計画は次の通り。
5/3(水) 魚津駅(タクシー)→片貝第四発電所→片貝山荘→西北尾根取付→1070m付近テント泊
5/4(木) 泊地→モモアセ山→毛勝山北峰(往復)
5/5(金) 泊地→西北尾根取付→片貝山荘→片貝第四発電所→片貝山ノ守キャンプ場(タクシー)→魚津駅
■5/3(水・祝)
富山駅に集合し、あいの風とやま鉄道にて魚津駅へ。タクシーで片貝第四発電所まで入り、10:30に山行を開始した。
西北尾根に取り付いて1070m付近でテント泊の計画であったが、片貝山荘まで歩いてみて、例年であれば十分に残っている雪がまったく無く水を確保できそうにないため、西北尾根登山口(746m)からほど近く、慰霊碑の建つ片貝川堰堤横の広場でテント泊となった。
■5/4(木・祝)
川辺に泊まったため、2日目の行動は山頂まで片道5.6km、標高差1700m近くある。宿泊用具等を幕営地にデポして4時30分に出発し、毛勝山西北尾根登山口へと向かった。
登山道にほとんど雪はなく、雪解け後に一斉に咲き誇る花々と鮮やかな新緑の中を歩き始めた。登りはじめてからしばらくは急登が続く。
イワウチワとイワカガミ
シャクナゲとコブシ
先頭を本科生が交代で務め、だいたい1時間ごとに休憩を取ることとした。2回目の休憩箇所(1300m付近)から歩き始めた直後に穴井さんが木の根でつまずき右足首を捻ってしまった。負傷箇所を見ると腫れ始めたため、テーピングにより足首を固定することとなった。
負傷の原因となった木の根
この時点でまだ行程2km地点であり、この後長時間登山できるような状態ではなかったことから、リーダーの判断により撤退することとなった。登山開始間もなくの撤退に拍子抜けしてしまったが、パーティ登山ではリーダーの決定に従わなければならない。
負傷者は自力歩行できるものの急斜面を下る必要があるため、リーダーによるコンテでの下山となった。今回山行の直前の講習会でコンテを習ったが、実践している状況を経験することができ勉強になった。
およそ3時間30分で登山口まで無事下山し、12時前には幕営地に到着した。
幕営地はスマホの電波が届かずタクシーも呼べないため、片貝山ノ守キャンプ場まで移動することとし、テントを撤収して出発。
片貝第三発電所の先で電話が繋がったのでキャンプ場に空き状況を確認したところ、全員分のスペースは確保できない。そこでテント泊が可能な場所を探しながら行くと、片貝川に流れ込む沢の手前に適当な場所(おそらく送電鉄塔のメンテ用スペース)を見出した。
翌朝6時のタクシーを予約してくつろぐが、川に近い草原(くさはら)のこととてブヨ及びヌカカの襲来があり、多くのメンバーが刺されてしまった。
■5/5(金・祝)
予約通りに来てもらったタクシーで魚津へ(運転手さんが昔は地元山岳会に所属して死ぬほど登りまくったとのことで、冒頭に記した山名由来など話してくれた)。解散後、多くのメンバはスーパー銭湯「辻わくわくランド」で汗を流した。
なお、14時42分頃に石川県能登地方において最大震度6強の地震があったが、ほとんどのメンバは影響を受けずに帰宅できた。
今回は登山開始早々の撤退で個人的には不完全燃焼の山行となった(きっと同行者全員が同じ思いであろう)ため、来年リベンジを果たしたい。さらに、できることならば残雪の多い状況での山行をしたい。
ここで一句 「残雪の毛勝に未練を残しけり」
<行程>
5/3 片貝第四発電所10:30~片貝山荘11:30~西北尾根登山口11:45~堰堤広場12:00(幕営)
5/4 堰堤広場4:40~西北尾根登山口4:45~1300m付近(撤退地点)7:00-8:00~西北尾根登山口11:30~堰堤広場11:35-13:30~片貝第四発電所14:55~片貝第三発電所付近15:40(幕営)
5/5 (幕営地からタクシー利用)