◆全般
この冬、雪山に行かなかった私は、技術委員会企画への参加を断念したかわりに、新緑の山を縦走することにした。首都圏在住者にとって、丹沢は、日帰りで行ける手軽な山域であり、2泊3日もかけて歩くのは珍しいかもしれない。東丹沢と西丹沢とを一度に巡る、欲張りなコースを設計した。
一般ルートを歩いたが、1日目と3日目は行き交う登山者が少なかったため、自然の静謐さと程よい緊張感とを満喫できた。一方、あちこちに崩落が見られ、登山道の際(きわ)から下が崩落しているやせ尾根を歩く際などには、慎重な足運びが必要となった。
丹沢山から蛭ヶ岳にかけての稜線を歩きながら周囲の山々を見渡すと、谷沿いに残雪が白く筋を描いた箇所が、いくつか見出された。
営業小屋での宿泊も、私には初めての体験であった。無名山塾・本科の山行では、営業小屋に泊まることはないので、これも良い経験になった。
◆1日目(寄バス停~ジダンゴ山~秦野峠~檜岳~雨山峠~鍋割山)
鍋割山に登るには珍しいコース取りをしたのではないかと思う。今回の山行中に出会った人々に「どちらから登ってきましたか?」と聞かれて、「寄からジダンゴ山に入って・・・」と説明しても、ほとんどの方がピンとこない顔をしていた。ジダンゴ山をご存じの方もいなかった。ジダンゴ山は、ガイドブックには載っているが、寄からピストンで歩くコースとして紹介されている。ジダンゴ山のピークから西に抜けて秦野峠、檜岳へとつなげるコースは、主要ルートとしては紹介されていない。そういうわけで、自分でも多少の不安はあったのだが、踏み跡は明瞭であり、特に問題はなかった。
実際には、ジダンゴ山を過ぎてから問題が発生した。ジダンゴ山から林道に出てしばらく歩くと、林道秦野峠に至る。ここから登山道に入り、秦野峠に出るはずであった。登山道の入り口には標識が出ており、取り付き点は間違っていなかった。シカ柵に沿って、明瞭な踏み跡を辿っていくと、秦野峠と思しき場所に出た。ジダンゴ山と雨山峠との方向を指し示す標識が立ててある。しかし、そこが秦野峠だとすると、雨山峠は北を指しているはずであるが、標識は東を指している。北方向を示す標識はないが、明瞭な踏み跡はある。そこで、北への道を少し探索してみることにした。だが、踏み跡はあるものの、道はしだいに、一般ルートにしては歩きにくいものになってきた。これ以上進むと危ないと判断し、ザックにしまっておいたGPSを取り出して確認することにした。果たして、本来のルートの西側を北方向に走る町村界を歩いていた。踏み跡は行政の方がつけたものであろう。そこで秦野峠だと思い込んだ場所に戻り、標識に従って東へ伸びる沢沿いの道を歩いていくと、秦野峠の正しい地点に到達した。
そこまでの道のりを思い返しても、取り付き点は間違っていないし、分岐を通過してもいない。ただ、登山道に入ってからシカ柵とシカ柵との間の道をしばらく歩いたのだが、その途中に、右側のシカ柵に人間が通り抜けられるくらいの大きな穴があいていた箇所があったことを思い出す。本来のルートから西に逸れていった契機があったとすれば、その箇所であり、あの穴をくぐってシカ柵の右側(東側)を歩いていくべきだったのだろうか。
あるいは、私が歩いた道こそが本来のルートであったのだとも考えられる。狭い範囲におけるジグザグのルートを25,000分の1地形図から正確に読み取ることができなかったため、事前に頭の中で描いたルートのイメージと実際とのギャップに混乱したのかもしれない。
秦野峠から鍋割山に到着するまで、3~5組の登山者と行き交った。いずれも私とは反対の方から下りてきた。好天で明るく、新緑が爽やかに映え、近隣の山並みが遠望できる、素晴らしい景色であった。しかし、コースの距離が長めであったこと(山と高原地図のコースタイムを単純に積算して7時間30分)、秦野峠近辺のルートファインディングに手間取ったこと、この3カ月間、山行から遠ざかっていて体力が落ちていたこと、日暮れ前に鍋割山荘に到着しなければいけないとの焦りがあったことから、かなりの疲労感を覚えた。特に後半はペースが落ちたため、行動時間は約9時間にのぼった。
鍋割山荘は鍋焼きうどんで有名だが、宿泊者の食事には出ない。夕食5:30、消灯9:00。混んではいたが、各人に一人分の布団をあてがわれた。夕食で一緒に食卓を囲んだ50代前半のX氏、70代前半のY氏と、食後も暫く歓談した。お二人は単独行だが、数年前にも鍋割山荘で一緒になったことがあり、今回は偶然の再会となったそうだ。お二人とは翌日、丹沢山まで一緒に歩いた。
X氏は登山歴、約10年で、山を愛していることは、話しぶりからよく分かる。読書を入り口に山の世界に深く踏み込んでこられたようで、いくつかの推薦図書と神保町の古書店「悠久堂」の存在を教えてくださった。ご自身は激しい山登りをするわけではなく、自然を楽しみながら、のんびりと歩かれるようだ。
Y氏は、10代から山をやっているとのこと。しかし地図は持たず、救急用具として絆創膏さえも持参したことがないという。登山口のビジターセンターで収集した情報を確認しているX氏の横で、「山では『感』も重要だ」とおっしゃっている。しかし翌日の歩きぶりを見ていると、体力維持の努力を日頃からなさっているようには見えない。「都市近郊の山での遭難予備軍だな」と思った。もっとも、「歩く人が少ないルートは魅力がないということだ」とおっしゃっていたので、主に人気コースを歩くのだろう。
就寝後、意識は一晩中、覚醒していた。これだけ疲れた日であっても眠られないということは、私は山では眠られない質なのだ、と悟った。
◆2日目(鍋割山~塔ノ岳~丹沢山~蛭ヶ岳)
朝、鍋割山頂から富士山と南アルプスの白い稜線がクッキリと望まれた。栃木県から来ていた中年夫婦2組・4人パーティの方に、コーヒーをお裾分けしていただいた。朝食は6:30の予定だったが、6:00過ぎに開始。7:30に出発した。
塔ノ岳までの鍋割山稜は、散歩道のように、のどかなものであった。丹沢主脈の稜線では、360度のパノラマを楽しみながら歩いた。コース距離は長くなく、アップダウンを繰り返すだけだったので、苦しさは感じなかった。上りでは適度に体温が上がり、下りでは爽やかな風が汗を乾かした。しかし風は徐々に強くなり、丹沢山から蛭ヶ岳への稜線では、帽子が飛ばされないように注意しなければならなかった。
蛭ヶ岳は、丹沢山塊で最も高い山だけのことはあり、頂上からの展望は素晴らしかった。しかし風が冷たいため、早々に山小屋に入った。夕方、山小屋の窓から、夕陽をバックにした富士山のシルエットが美しく雄大に見えたので、外へ出て写真をとった。到着した時には、富士山は雲霧に隠れていたようだ。
蛭ヶ岳山荘は非常に混んでいた。子供連れの家族、夫婦、男性の2人組、女性の2人組、そして単独行の男性と、実に様々な登山者が押し寄せていた。2人で1つの布団を共用。夕食5:00、消灯20:00。例によって一晩中、意識は覚醒していた。強風の音を聞きながら、不動の姿勢でじっと横たわっていた。
◆3日目(蛭ヶ岳~臼ヶ岳~檜洞丸~石棚山~箒沢公園バス停)
本来は4:30だったが、4:00に朝食開始。5:30を待たずに出発。想定通り天候は崩れ、早朝から霧が立ち込めていた。視界は20メートルくらいだろうか。道を見極めることはできたので、その点では不安はなかった。下山するまで、本降りにはならなかったが、断続的に雨粒がポツリポツリと落ちていた。蛭ヶ岳から西丹沢にかけては、木々の芽吹きが遅いようで、依然として冬木立の様相であった。そこに霧がかかっているので、寒々しい幻想的な景色だった。もっとも、石棚山を過ぎて標高を下げると、新緑が輝いていた。
ルートは全体的に岩場や急坂が多いものであった。箒沢公園橋12:05のバスに間に合うには、ギリギリのコースタイムだったが、下りなので時間を稼げるだろうと思っていた。しかし慎重な足運びを強いられたため、スピードはあがらなかった。「慎重に、テンポ良く」と自分に言い聞かせながら、顔をこわばらせてガレた急坂を下りている最中、ふと足を止めて顔を上げると、眩しいばかりの木々の新緑。「なんて馬鹿な歩き方をしているのだろう」と思った。
私と同じ方向に進む登山者とは3名程度、前後してすれ違った。蛭ヶ岳山荘で顔見知りになった方たちで、いずれも単独行だ。反対方向からやってくる登山者にも、4組程度、出会った。
初日に秦野峠近辺で道迷いした以外は順調な山行だったが、最後の最後にトラブルが発生。富士急湘南バスのウェブサイトで12:05の便があると確認したのだが、バス停の時刻表には14:41までバスがない。バス会社に電話をすると、12:05の便は夏季のみの運行だと言う。雨の中を14:41まで待つわけにはいかないので、タクシー会社の番号を教えてもらって電話し、配車を依頼。新松田駅まで約9,000円もかかってしまった。
<行程>
◎前日(5/2)
新松田で始発のバスに乗るため、グランドホテル神奈中・秦野に前泊。
◎1日目(5/3)
新松田6:55発/寄バス停7:20着→7:30 寄バス停を出発→9:00ジダンゴ山→10:00林道秦野峠→11:15道迷いののち秦野峠に到着→12:50伊勢沢の頭→13:20檜岳→14:00雨山→14:25雨山峠→15:20茅ノ木棚沢ノ頭→15:50鍋割峠→16:40鍋割山。鍋割山荘泊。
◎2日目(5/4)
7:30 鍋割山荘を出発→9:20 塔ノ岳→11:20丹沢山→14:00 蛭ヶ岳。蛭ヶ岳山荘泊。
◎3日目(5/5)
5:20 蛭ヶ岳山荘を出発→6:30臼ヶ岳→8:45檜洞丸→10:20石棚山→12:00箒沢公園橋バス停。タクシー配車を依頼し12:50に乗車、新松田駅へ。